東日本大震災現地調査[2]─「仙台港」など

仙台港の正式名称は「仙台塩釜港」で、宮城県仙台市宮城野区、多賀城市、七ヶ浜町にまたがり、仙台湾に面して位置する大規模港湾施設です。
仙台にて「東日本大震災現地調査」
まず、視界に飛び込んできたのは、港に向かう「七北田川」の中に流された家屋です。津波の凄まじさを、まずは思い知らされることとなりました。港エリアに着くと、被災して操業停止となった「キリンビール仙台工場」が見えてきました。近づこうとしますと「関係者以外通行禁止です」と警察の方に言われ制止されました。

被災したキリンビール仙台工場「東日本大震災現地調査」

被災したキリンビール仙台工場


その先を港へ続く道路脇の街路樹(防風林)に、無数のクルマがまるでスクラップ工場で山積みされた状態(それより酷い状態)で、ぐじゃぐじゃになっている光景に出くわし、息をのみました。なかには、ナンバープレートの無い新車も数多くみられました。また、クルマの傍らには、車いすや商店街の「はっぴ」など、様々なモノが混じり合っていて悲惨さが増す思いでした。
仙台港付近「東日本大震災現地調査」
仙台港「東日本大震災現地調査」

仙台港付近


さらに、港には横転した大型トラックやトヨタ自動車のクルマを陸送するための搬送トラックが何十台も大破して横たわっていました。仙台港を示す大型看板も無残な姿を横たえていました。既に大型船が接岸して、港自体の機能は復旧していましたが、港湾施設の復旧には相当な日数がかかると感じました。

一関の宿「東日本大震災現地調査」

仙台港を後に、宿泊予定地の岩手県一関市へと向かいました。途中、道路が寸断されており、山側のう回路を使い、ようやく宿へ到着しました。被災を免れた家々は東北地方らしく立派なたたずまいをみせていました。宿の駐車場は被災地へ支援に向かうために遠く県外からやってきたパトカーで一杯でした。宿では陸前高田市から避難してきたいくつかの家族の皆さんが、一家族一部屋を使って生活をされていました。普段は宿泊客のシーツや浴衣などに使うであろう洗濯機が被災者の皆さんに解放され、お年寄りの方が洗い物をしていました。また、宴会場が被災者の皆さんの集会所として提供されていました。大浴場も時間制限と湯船の制限(お湯を張っていない浴槽がありました)が実施されていましたが、被災地の皆さんのことを思うと、お風呂に入れる喜びを感じざるを得ませんでした。お風呂をご一諸したのは皆さん警察官の方ばかりで、8時を過ぎると宿はひっそりと静まり返りました。
桜のつぼみ「東日本大震災現地調査」
秋田県境をひかえる西の山々は、まだ深い雪に覆われていました。桜の木はつぼみのままです。到着したときには販売されていた自動販売機のビールは、警察官の方々がお買いになったのでしょうか、9時前には全部売り切れで、残っていた缶ちゅうハイを1本買ってお部屋で頂き、早めに就寝して明日に備えました。


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