2015年12月29日は、愛媛にお墓の掃除に帰りました。
西条市小松町の実家に正月飾りをしてからお墓参りを済ませました。
菩提寺の法安寺近くの畑には「とうどうさん」が飾られています。これは、西条市の各所で行われている伝統行事です。毎年暮れに作られ、1月にこの竹とわらで作った円錐形の「とうどうさん」を燃やし、一年の豊作と無病息災を願います。この火で焼いた餅を食べると健康でいられるという言い伝えがあります。天気もよく、遠くに西日本最高峰の石鎚山がきれいに見渡せます。穏やかな年の瀬です。
久しぶりに東温市にある讃岐うどんの名店「七里茶屋」へ立ち寄り、「かけ」うどんと、「ざる」うどんを食しました。わたしの知る限り、愛媛県では最高の味を誇る名店です。このお店、昔は国道11号線「桜三里」にありましたが、高速道路が開通して交通量が減ったためか、川内インターチェンジから松山市寄りの重信川の傍に移転して営業しています。この日も満員で順番待ちをいたしましたが、その価値は十分にあります。亡父が好きで、道後温泉への行き返りに何度となく立ち寄ったものです。
腹ごしらえを済ませてから、松山自動車道路で大洲インターまで参り、そこから国道で八幡浜を目指しました。夕方、三瓶町にある魚自慢の宿「みかめ本館」に到着です。港にある道の駅と旧市街地をぶらぶら散歩しました。昔は漁業で栄えたであろう漁村の懐かしい風景と愛媛県南予地方特産の「愛媛みかん」の本場として、段々畑にみかんや伊予柑のオレンジ色が広がります。豊後水道に沈む夕日を眺めながらゆっくりとお風呂タイムを楽しみました。湯上りに置かれた食べ放題の「愛媛みかん」をいくつも頂きました。小粒ながら甘みが最高です。しかし、こうした柑橘系果物の栽培は、急峻な段々畑での作業の大変さから、後継者不足に悩んでいることも事実です。高齢過疎が急速に進む中で、地方創生の課題が、ここにもありました。
30日は、八幡浜港からフェリーで大分県の別府市へ渡りました。船中で、松山大学のK先生にばったりお会いしました。九州大学で共に研究を続けている同門です。ご実家の福岡へご子息とご一緒に帰省される途中とのこと。K先生は、アメリカ大手銀行研究における第一人者のおひとりであり、来年のアメリカと日本の経済や金融の見通しについて、ご意見をうかがうことが出来ました。来年は申年なので猿で有名な高崎山観光を検討していたのですが、「ジャングルバスからの餌やりは、大人でも興奮しますよ」とのK先生のお勧めで、アフリカンサファリパークへ足を運ぶことにいたしました。久しぶりの別府です。フェリーから下船すると、まちのあちらこちらから温泉の湯煙が立ち上っているのが見えます。クルマを郊外へ走らせサファリに到着です。ここアフリカンサファリは、大分県宇佐市にあり、6つのセクションに分かれた115万㎡の園内には、クマ、ライオン、トラ、チータなど600余頭の野性動物が放し飼いにされています。入場料金は大人2,500円、そして追加で1,100円支払うと、ジャングルバスに乗車できます。野性動物に直接餌付け体験ができるとあって、大勢の家族連れやカップル、グループの若者たちで賑わっていました。車中からとはいえ、至近にライオンやトラ、熊やサイ、そしてチータやアメリカバイソンなどが近づいてきますと緊張します。確かに、アフリカへワープしたかのような錯覚に陥るくらい迫力がありました。
また、園内は土産物などのショップも充実しており、非日常のワクワクした時間を過ごすことができました。宿は別府駅前を予約しておりましたので、市内へ引き返しました。途中に別府八湯((別府・鉄輪(かんなわ)・浜脇・観海寺(かんかいじ)・明礬・堀田・柴石・亀川))のひとつ明礬温泉がありましたので、立ち寄り湯を楽しみました。強烈な硫黄の香りが温泉ファンにはたまりません。外気は寒かったのですが、露天風呂が1年の疲れを癒してくれました。もちろん、宿のお風呂も源泉掛け流し、夜と朝の2回、時間をかけて楽しみました。
翌日31日大晦日は、朝食を早めに済ませて由布院(湯布院町)を目指しました。湯布院は大分県の人気観光スポットで、有名な温泉地です。「湯布院」という町名と「由布院」という駅名と漢字が違いますが同じ場所で、別府から湯布院へ抜ける峠でクルマをとめて由布岳と眼下に見下ろす湯布院町のまちなみを眺めました。別府市と由布市にまたがる「由布岳」は、標高1,583mの活火山です。「豊後富士」とも呼ばれ、古くから信仰の山とされてきました。山頂は残念ながら雲に隠れていましたが、その光景は見事です。金鱗湖畔までくだり、湖をゆっくりと一周しました。湖底からは、温泉と清水が湧き出ています。湖を泳ぐ魚の鱗に、日が反射して輝く様から、「金鱗湖」という名がついたそうです。秋から冬にかけて現れる朝霧は、大変美しく幻想的です。外気が下がっているためでしょう、湖から湯気が立ち昇り、それが霧となり、その眺めはとても神秘にあふれています。あいにくの曇天でしたが、逆に冬の風情を感じることができました。
由布院を後に、日田市へと向かいました。大分県北部に位置する日田市は、最近、古い町並みと温泉を観光に活かした地方創生が進んでいます。江戸時代に幕府の直轄の天領地として日田代官所が置かれた城下町の中心部であり、HPによれば「日本最古の商家や蔵屋敷が立ち並び、日田の観光名所として知られる場所のひとつです。九州における政治や経済の中心地として発展した建築様式は、町割りを残しつつ変化に富んだ町並みを形成しています。豊かな水をたたえた筑後川上流の三隈川が流れる日田市は、古くから「水郷(すいきょう)」と呼ばれるほど水資源に恵まれた町です。現在では7軒の温泉旅館があり、それぞれに趣向が凝らされています。日田の温泉宿は屋形船での夕食と鵜飼いを楽しめるのが特徴。昔より子宝温泉として親しまれており、単純泉で、リウマチ、神経痛、疲労回復をはじめ現代人のストレスなどに効用があると言われています。」と紹介されています。
中心部である豆田町(まめだまち)では、まず咸宜園(かんぎえん)を訪れました。HPによれば「江戸時代後期、全国各地に藩校や私塾ができ、教育への関心が高まっていた文化2年(1805年)、豊後・日田の儒学者・廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう 天明2年(1782年)~安政3年(1856年))が、長福寺の学寮で開塾しました。(中略)咸宜園の「咸宜」とは、中国最古の詩集『詩経』にある「殷、命を受く咸宜(ことごとくよろし)、百(ひゃく)禄(ろく)是れ何(にな)う」から来ています。「咸く宜し」とは、すべてのことがよろしいという意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意志や個性を尊重する教育理念を塾名に込めました。淡窓は、身分や階級制度の厳しい時代にあって、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」により、すべての門下生を平等に教育しました。また、咸宜園には、月の初めに門下生の学力を客観的に評価する「月旦評(げったんひょう)」と呼ばれる制度があり、門下生の成績を公表することで学習意欲を起こさせ、勉学に励ませる効果がありました。そのほかにも、規則正しい生活を実践させる「規約」や門下生に塾や寮を運営させる「職任」など、門下生の学力を引き上げ、社会性を身につけさせる教育が行われました。咸宜園は、淡窓没後も廣瀬旭荘や廣瀬青邨などの門下生に引き継がれ、明治30年(1897年)に閉塾するまで、およそ5,000人もの門下生が学んだ最大規模の私塾となりました。」とあります。岡山県にも庶民の学校として名高い岡山藩主池田光政が開いた岡山直営の「閑谷学校(国宝)」が有名ですが、ここ「咸宜園」も歴史と由緒ある学問の地であると感じました。余談ながら、「咸宜園」の隣が、日ごろからお世話になっている九州労働金庫の日田支店でした。
さて、昼時となりましたので、豆田町にある老舗の鰻屋「黒田屋」で、鰻の蒸籠(セイロ)を食しました。鰻の蒸籠は、福岡県柳川市が有名ですが、ここ日田市も筑後川上流の三隈川とあって、鰻の老舗店があります。黒田屋の味付けは、天領の土地柄ゆえか、蒸籠はとても上品に仕上がり、一方、かば焼きは蒸して無く力強さがあり、共に絶品でした。昔ながらの天領の町並みを散策した後で、三隈川沿いに旅館が並ぶ日田温泉にまいり、そこでは、創業120余年、前身が「料亭」であったという歴史を持つ「亀山亭ホテル」に立ち寄り湯をさせて頂きました。夏は鵜飼と屋形船、冬は天領船で雪見酒など、三隈川の風情を堪能できる温泉地とあり、最上階にある露天風呂から眼下に広がる三隈川の眺めは最高でした。宿の売店では、日田が全国に誇る焼酎「いいちこ」のご当地限定アルコール度数30度の逸品を買い求めました。宿の温泉街には老舗の川魚屋さんや饅頭屋はじめ和菓子屋さんが軒を並べております。豆田町と合わせ、散策するには最高のエリアです。
次回は1泊して楽しみたいとの思いを残して日田を後に、高速道路を一気に福岡県北九州市にある門司港までクルマを飛ばし、大晦日の最後の観光として、門司港レトロエリアを散策いたしました。ここ門司港レトロエリアには、明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っています。木造建築の門司港駅を初め、大正浪漫ただよう建物たちがエキゾチックな雰囲気を醸し出しており、北九州市の地方創生の拠点のひとつとなっています。その活動を支えているのが「門司港レトロ倶楽部」です。そのHPを引用させて頂くと「門司港レトロ倶楽部は、地元まちづくり団体や民間企業、観光協会、指定管理者、行政などと連携し、かつ一体となって観光まちづくりに取り組み、門司港レトロエリアの観光振興及び地域の活性化を推進していく事を目的に作られました。平成7年の発足以来、門司港エリアの公共空間を活用し、下記のようなソフト事業を展開しています。
○観光資源開発にかかる行政への提言、アイディアの提供等:平成9年にまちづくり活動の方針を取りまとめた「門司港レトロエリア活性化の方策」を地域住民、行政等へ提案した他、平成12年には景観、歴史的建造物等の観光資源の保全や公共空間の活用を地域に呼びかけ「レトロ基金委員会」を創設し、「カボチャドキア国立美術館」の開館支援等を行いました。また、「レトロまちづくりフォーラム」等、まちづくりへの意見交換会や各種シンポジウム、他都市への視察等を実施し、様々な観点から情報・意見等を集めることで観光資源開発やまちづくりへの提言に活かしています。
○PR、キャンペーン等観光宣伝:平成8年より情報誌「レトロタイムズ」を発行(年2回、各3万部)し、ホームページによる情報発信、他都市でのキャンペーンやPR活動など、全国へ向けた情報発信を行っています。
○イベントの企画及び実施、受入施設の整備促進等の受入れ体制づくり:ゴールデンウィーク中の「レトロフェスタ」や冬の「門司港レトロイルミネーション」「レトロひなまつり」など年間を通じて数多くのイベント実施、支援を行い、門司港レトロの賑わい創出を行っています。さらに歴史的建造物を活用した絵画展や音楽イベント等の自主企画による市民イベントを募集し、住民参加型の観光地づくりに努めています。
○その他:門司港の伝統芸能である門司港発祥の「バナナの叩き売り」の伝承支援や、地域の芸術家の支援、門司港アートブランドの確立のための「門司港アート村」の設立支援、「よさこいおどり」を通して関門連携を図るための「YOSAKOI塾」開催等、まちづくりを文化面でもサポートすべく積極的に支援、提案を行っています。」と記されています。
こうした点を参考にさせて頂きながら、九州鉄道記念館はじめ、門司駅、昔の建物群を訪ねながらエリアを散策しますと、確かに「地元まちづくり団体や民間企業、観光協会、指定管理者、行政」が連携、一体となったまちづくりに取組んでおられることを良く理解することができます。
夕暮れの関門海峡を眺めながら、門司を後にして本州へ渡り、宿泊地の山口県宇部市へとクルマを走らせました。日が落ちて宇部新川駅近くの宿へチェックイン、ご当地はヱヴァンゲリオンの作者、アンノヒデアキ氏の故郷だそうで、駅舎にはヱヴァンゲリオンのパネルや彼の年譜が飾られていました。駅の近くで夕飯を済ませ、宿で紅白歌合戦を観戦しながら除夜の鐘を聴きました。
あわただしく過ぎた1年を振り返りながら、新たしい年を迎える心の準備をしつつ眠りにつきました。
明けましておめでとうございます。
2016年元旦の朝は山口県宇部市で迎えました。宇部から防府まで参り、初詣は防府天満宮へ参拝いたしました。菅公と呼ばれる菅原道真をお祀りしたお社は日本全国津々浦々に至るまで約1万2千社ありますが、ここ防府天満宮の創建をもって日本最初の天満宮とし、北野天満宮(京都市)、太宰府天満宮(太宰府市)と共に日本三天神と称せられています。学問の神様とあって、多くの若者が参道から境内まで長い列をなしています。お参りを済ませて、大宰府天満宮の「梅が枝餅」が本家でしょうか、防府天満宮名物の「天神餅」を頂戴いたしました。焼きたてアツアツ、餡子が多めで甘目でした。
今年は岡山大学へ着任して5回目の元旦です。いよいよ成果が試される年です。地域のみな様方にご評価頂けるよう、そして自らの学問についても精進することを天神様に誓いました。