8月10日、九州大学での学びを終えて、博多から天草まで飛行機、現地ではレンタカーを利用してOFFTIMEを過ごしました。舞い上がれば30分ほどの飛行で福岡空港から天草空港へは到着です。本来なら鉄道を利用したいのですが、時間がありません。しばしの遊覧飛行を楽しみました。まず天草空港から近くにある「訳ありスポット」を探しました。そこは、小職を大学教員へと導いてくださった明瀬政治(みょうせ まさはる)先生のルーツであると予てより聞いていた場所です。そこ「明瀬」地区は、天草湾に面した「あまくさ風景街道」(天草市佐伊津町明瀬)沿いの集落でした。本渡海水浴場が近くにあり、想像していた以上に中心市街地に程近いことがわかりました。「明瀬」地区にある信号機の地名看板を写真に納めました。
さて、世界でカナダとオーストラリア、そして天草の3箇所しかないといわれるイルカが定住する珍しい海域を持つ、下島北部、五和町二江へ向かいました。ミナミハンドイルカを眺めるドルフィンクルーズに出発です。二江港から出発して5分も経たないうちに、はやくもイルカの群れを発見です。愛くるしい、しなやかさのなかにも元気いっぱいの野生のイルカたちが海面を悠々と泳ぎます。夏休みとあって多くの観覧船が出航していて、子供たちから大きな歓声があがります。イルカの群れは、船を怖がる様子もなく、逆に船を友達と思っているかのように船体へ近寄り、ぐんぐん先導します。こうしたダイナミックな光景に出会った経験はかつてありません。水族館では味わえない自然と向き合える感動体験です。ちなみに、料金は1時間で2500円(割引券がありましたので2000円)、ワンドリンク付です。
次に、海岸線に沿って国道389号線を南下しながら苓北町から天草町へ入り、天草最古の湯といわれる下田温泉につかりました。歴史ある温泉旅館が軒を連ねています。下田温泉センター「白鷺館」は、街の中央部奥にあり、泉質はなめらかで、露天風呂からは下津深江川を眺めながら、ゆっくりとした時間を過ごすことができます。風呂上りに、館内にある「ラウンジ椿」にて、名物「天草ちゃんぽん」を頂きました。麺は長崎ちゃんぽんよりやや太め、「こし」が強いと感じました。スープは、天草特産の「天草大王」と命名された日本最大級地鶏の出汁が効き、野菜や魚介、豚肉などの味と絡み合い絶妙です。熊本県天草広域本部が制作した「天草ちゃんぽんパーフェクトガイド」だけでも、ちゃんぽんを振舞う93店舗が紹介されています。まさに島民食であります。
温泉で汗を流し、腹ごしらえを済ませ、天草の象徴である教会を二つ見学しました。
まず、天草町大江にある「大江教会」です。永禄9(1566)年、天草にキリスト教が伝来、その20年後の天正期には島内に25,000人の信者がいたと言われています。そして慶長14(1609)年、江戸幕府により禁教令が出され、寛永14(1637)年に天草島原の乱が勃発、翌年に原城の陥落により、大日本帝国憲法の発布まで、キリスト教にとっては暗黒の時代が続くことになります。
ここ「大江教会」は、昭和8(1933)年、フランスの宣教師ガルニエ神父により建立されています。教会内には澄んだ空気が漂います。また、小高い丘の上から眺める景色は凛として平和です。しばらく静かに佇み、古の辛酸な弾圧の歴史に想いを馳せながら、信教自由の尊さ、大切さを心に刻みました。
少しクルマを走らせますと、羊角湾の入り江の港町に「﨑津教会」が現れました。県のHPによれば「穏やかな羊角湾を臨む﨑津の漁村に建つ教会。明治以来3回の建て直しが行われた現在の教会は、昭和9年、ハルブ神父により創建された。長崎の鉄川与助によって施工された教会は、尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式で、その堂内は畳敷きになっている。また、正面の祭壇がある場所は、禁教時代に厳しい絵踏みが行われていたところでもある。1569年、ルイス・デ・アルメイダ神父によってキリスト教の布教が行われたこの地では、1638年の禁教令以後、激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきた。」とあります。山の斜面にあるお墓には十字架を配した墓石が並んでいます。羊角湾は波もなく穏やかで、﨑津集落はとてものどかな漁師町です。
さて、ここでもうひと奮張り、「元祖ハイヤ節」で名高い「牛深」まで参りました。牛深ハイヤ節は、全国に40箇所以上あるといわれるハイヤ系民謡のルーツであり、「うしぶか海彩館」には、牛深ハイヤ節の記録を伝える品々や毎年春に開催される牛深ハイヤ祭りの歴代ポスターが展示されています。また、遠見山公園から眺める眺望は見事でした。夕焼けが素晴らしいとの伝、残念ながら飛行機の時間があるため拝むことは叶いません。小職の大好きな岡山県瀬戸内市「牛窓」と熊本県天草市「牛深」、ぜひとも友好都市になって頂きたいと念じました。
さて、天草市の中心街に取って返し、天草市上島にある倉岳町を訪れました。ここも古くからの友人の故郷です。友人みんなで泊まりに行こうと、小職が提案、何度か計画していたのですが、諸般の事情で難しそうです。そこで、もやもやしていた自分自身の気持ちに区切りをつけるため、どんなところか、ほんの数分ですが訪ねました。港からは、向かいにある御所浦町の島並みが望めました。いつの間にか、山本コウタロー「岬めぐり」を口ずさんでおりました。気持ちの整理がつき、清清しい気分になることが出来ました。
そして、欲張り旅の締めくくりは、天草市内船之尾町にある「天草キリシタン館」へ参りました。しかし、帰りの飛行機の出発時刻が迫っており、国指定重要文化財「天草四郎陣中旗」を一瞬見学して、玄関の天草四郎像を写真に収め帰路に着きました。
天草空港を午後6時発の福岡行き最終便、博多経由で新幹線に乗り継ぎ岡山へ帰ったのは9時前です。
便利になったとは申せ、仕事と同じ時間との戦いのような一人旅でした。