免許更新

岡山へ着任してちょうど5年が過ぎました。

9月11日は朝から免許証の書き換えに「岡山県運転免許センター」へ参りました。東京府中の老朽化したセンターとは異なる見事な建物に驚きました。免許の更新手続きを済ませたあとで、山越えをして瀬戸内市牛窓の母のもとへ向かうこととしました。


思ったよりも急な山道が延々と続きます。

そして峠を越えて下った集落に着きました。「招き猫美術館」と称した建物があり、古民家をモダンに改装した建物に、一旦、クルマを止めました。さらに下ると「金山寺」入り口の看板があり、小さな集落へと入り山門へ着きました。痛みが酷いためか、瓦が落下しないように足場が組まれ補強されています。また、石段を登り庫裏らしき建物に出ましたが、ここの荒れようは尋常でなく、ちょっと何とかしなければ、国の重要文化財がある建築物群の境内にしては、訪れる人に失礼かと思われるほどの傷みようでした。可愛そうです。

岡山市によれば「岡山市金山寺(かなやまじ)にある天台宗の古刹。平安から鎌倉時代の古文書(こもんじょ)には金山寺(きんざんじ)あるいは金山観音寺と記され、近世には銘金山観音寺遍照院とも呼ばれ、遍照院が寺中を代表する本坊としての役割を果たしていた。寺は、古文書や「金山観音寺縁起」、「遍照院中興縁起」によれば、749年(天平勝宝元)に報恩大師が創建し、大師自作の千手観音を本尊とし、京都清水寺の本尊と同木異体と伝えられる観音霊場に始まる。その後、1069年(延久元)、1178年(治承2)の二度に渡り回禄するも、その都度再建された。治承の再建にあたっては、備中吉備津宮の社家出身の葉上房栄西によって灌頂堂、護摩堂その他の堂宇が新造され、葉上流灌頂を伝え、栄西入宗時の伝来の品々が残されている。16世紀前半には、備前金川を本拠とする松田氏による日蓮宗への改宗を拒否したため、松田氏の焼き討ちにあって灰燼に帰した。その後、伯耆国大山寺から法印圓智(豪圓僧正)が来山し、岡山城主宇喜多直家の援助によって復興した。境内には、三重塔(県重文)、本堂(重文)、山門(仁王門 市重文)が南北に高低差を持って配され、護摩堂(県重文)や開山堂、灌堂、経蔵、客殿、書院、庫裏等の建造物が経ち並ぶ山上伽藍を形成している。」と記されています。


一方で、修復が済んだといわれる、裏山に静かに建つ三重塔は驚くべき威厳を持っており来てよかったと感じました。これも岡山市によれば「1992年(平成4)岡山県重要文化財(建造物)に指定される。1788年(天明8)に邑久大工の田淵繁枚によって完成された。本瓦葺、初層方5.06mを計る3間3重塔婆で、1929年(昭和4)に部分修理を受けているが、後補材は殆どなく一手である。初層及び化粧部材は欅造であるが、2層、3層の構造材には地松が多用されている。平成11年度から4ヶ年計画で、保存修理事業を行っている。」と記されています。岡山県には備中国分寺や曹源寺はじめ見事な五重塔や三重塔が数々ありますが、金山寺三重塔もすばらしい歴史的文化財であると感じました。

金山寺を後に、旭川へ出て、百間川を横目にブルーラインを牛窓へ向かいました。

今日の牛窓は「八朔雛祭り」が開催中でした。牛窓しおまち活性化プロジェクトのボランティア(唐子踊まんじゅう:きびや菓子舗の若主人)が、ガイドをしてくださいました。岡山大学の学生たちも見学に来ていたとか、また、外国人の一団が大勢で散策されています。また、この雛祭りの楽しみの一つが「ししこま」という米粉でこさえた色鮮やかな魚や野菜を模った飾りを見物することです。


さて、この牛窓しおまち活性化プロジェクトの中心人物のひとりである岡さんのHPによれば、「八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の八月一日のことです。この頃早稲(わせ)の穂がみのるので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習があり、古来から大切な年中行事の一つとされてきました。このことから、「田の実の節句」ともいい、この「たのみ」を「頼み」にかけ、互いに贈り物をし合い、祝賀の意を表す風習が広まりました。江戸時代に入り、二代将軍秀忠の娘徳子が後水尾天皇のお妃様として宮廷に入る際、京都の御所で盛大なひな祭りが行われたのをきっかけに、幕府や大奥ででもひな祭りを行うようになりました。やがて武士階級から町人へと広まり、江戸幕府が三月三日を祝日に設定したことで庶民も盛んにお祝いするようになりました。いつしか春に飾る雛人形を、虫干しを兼ねて再び飾る行事がこの八月一日に定着し、子供たちの健やかな成長を祈る年中行事として庶民に広く定着していきました。八月朔日に飾られる雛を「八朔雛(はっさくびな)」、九月九日の重陽(ちょうよう)の節句の菊雛を「後の雛(のちのひな)」と言います地方によって形態は様々ですが、兵庫県たつの市御津町室津や香川県三豊市仁尾町などの古くから航路の拠点としてにぎわった港町には、今も「八朔雛」を飾る風習が残っています。)

また、「ししこま」の由来についても解説があります。「「ししこま」とは、米粉を練ってこれを蒸し、臼でついて山の幸・海の幸をかたどった団子ににし、色子で彩色したもので、女の子が生まれた初めての八朔(旧八月一日)に作り、雛壇に供えるとともに、近所の子供たちに貸していました。(女の子が生まれた時には同じものを作って返します)もらってきた子供達は、二、三日のうちに食し、無病息災を願います。昔は牛窓港全体で行われてきた風習ですが、現在では瀬戸内市牛窓町牛窓西町地区のみ伝わっており、瀬戸内市の無形民俗文化財に指定されています。今も受け継がれている八朔の風情をお楽しみください。」とあります。なお、岡さんには授業で学生の面倒を見て頂いたことがあります。

雛祭り見物の後は、「てれや(照れ屋)」にて、お気に入りのレッドカレーを食して、午後のひと時を過ごし、帰路に着きました。


晴天で気温30度超え犬島が良くみえました。