北野天満宮

学者の端くれを志して年月を重ね、もう少しだけ精進を重ねようと、5月24日、全国天満宮の総本山、学問の神様である北野天満宮に詣でました。

京都駅までは新幹線、そして京都駅からJR山陰本線で太秦駅まで参りました(京都市内までの切符ですから岡山からの運賃は変わりません)。太秦駅で下車して、徒歩ですぐの撮影所前から京福電気鉄道北野線で、終点の北野白梅駅まで参りました。車窓からの眺めは京都のまちを実感するうえで貴重な体験でした。

終点の北野白梅駅から大きなお寿司屋さんの看板が目に入りましたので、まずは腹ごしらえと「傳七すし」に入店、店内はお客さんで満席に近い状態でした。これは味にうるさい京都の皆さんが通うなら期待できると、メニューを見て店名がついている「傳七ちらし」を注文、値段も780円(税込み858円)と、超リーズナブル、多彩で新鮮なネタが一杯乗っていて、何といっても味付けが抜群です。さすが食の京都で大満足でした。
さて、駅から10分ほどで北野天満宮です。

天神様は天の神様、KYOTOSIDEによれば「「天神」とは元々、高天原(たかまがはら)の神々、天津神(あまつかみ)を指していますが、道真公が祀られた北野の地には、古来、天神地祇(てんしんちぎ)の神々を祀り、また雷の神である火雷天神(からいてんじん)が祀られる場所でもありました。これらの神々を奉祀し祭祀が営まれてきた聖地北野に道真公が祀られました。そして永延元年(987)、時の一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、道真公はいよいよ「天神」として世々に信仰されて行くのです。」とあります。

長い境内を進みまして、まずは学問の神様である牛にお参りして撫でました。
同KYOTOSIDEによれば「太宰府へ左遷され同地で亡くなった道真公。「人に曳かせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から牛車に柩を載せ出発すると、突然牛が道端で臥して動かなくなりました。従者たちは「牛が動かなくなったのは、道真公がこの地に遺骸を埋めよ」という遺志なのだろうと、近くの安楽寺(現在の太宰府天満宮)に埋葬したと伝わっています。」とあります。

なるほど、天神様が何で、牛がなぜいるのか、実はよく知らずにいままで参拝してきた自分が恥ずかしくなりました。
そして国宝の本殿は北野天満宮公式サイトによれば「千年余りの歴史のなかで何度も火災にあいましたが、そのたびに朝廷や将軍家によって造営修繕がなされ、現在の本殿は豊臣秀吉公の遺命により豊臣秀頼公が慶長12年(1607)に造営されたものです。」とあります。

さて、門前の「粟餅所・澤屋」であわもちを手土産に買い求めました。創業天和2年(1682年)330年以上続く京都を代表する老舗和菓子店です。1500円の品を注文しますと、店内でお待ちくださいと言われ、お店の中で様子をみておりますと、その場で注文を受けたものを出来立てで提供していることが理解出来ました。そして「本日中に召し上がってください」と告げられました。こだわりの伝統の味にこれまた感服いたしました。
この北野天満宮のバス停から京都大学のある百万遍まで市バス一本で移動が出来ました。公共交通のまち京都の真骨頂です。