タイ王国ナショナルチームがオリンピック出場をかけた試合の応援と岡山シーガルズとタイ王国バレーボール協会との協定締結を目的にタイへ参りました。
期間は1月10日~14日、メンバーは岡山シーガルズの高田さゆり取締役マネージャー、元岡山シーガルズのキャプテンでロンドン五輪メダリスト、現在は中国学園大学に所属する山口舞さん、そして顧問の立場で小職の三人です。
1月10日の早朝に岡山を発ち、羽田経由で夜には、東京五輪のアジア女子代表決定戦が開催される、バンコクから東北へ約250㌔にあるタイ国第3の都市ながら、イサーンと呼ばれるタイ東北部における最大の都市で人口は約260万人(バンコクに次ぐ多さ)のNakhon Ratchasima(ナコーンラーチャシーマー)県コラートへ到着、現地では、大会前夜祭が開催されており、早々にタイ王国バレーボール協会のMR. SOMPORN CHAIBANGYANG会長、SHANRIT WONGPRASERT CEO、JAKSUWAN TOCHAROEN主席秘書官はじめ多くの皆様方から歓迎を頂き、晩餐のお席をご用意いただきました。
舞台では、SOMPORN会長自らが、マイクを持って参加した関係者をもてなされ、岡山シーガルズのご紹介を頂きましたので、到着早々ではありましたが壇上へあがり、エールに応えさせて頂き、タイチームの勝利を祈念させて頂きました。
岡山からは赤磐市に吟味頂いた、採れたての苺をどっさりお土産に持参いたしました。
翌日1月11日、宿泊地としてご準備頂いた、Sima Thani Hotelの2階が大会開催本部となっており、そこで調印式に臨みました。先方はSOMPORN会長、SHANRIT CEO、JAKSUWAN主席秘書官の3名、当方は高田、山口、三村の3名、そして通訳兼コーディネーターをお願いしている平聖子(Seiko Taira)女史です。ここまでの岡山大学の担当は岡山シーガルズとタイ王国バレーボール協会との協定に際して、岡山シーガルズ河本昭義監督の意向を反映した協定書の文案づくり、協定書翻訳、そしてここまでの交渉役です。
つまり、今回の協定締結に際しては、そのタイミングを東京五輪女子バレーアジア最終枠決定戦に合わせての訪問といたしました。
調印式では、小職から協定書の内容に従い、その趣旨確認をさせて頂き、また、女子バレーの発展を通じてSDGsが目指す、「4.質の高い教育をみんなに:すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する~2030年までに、教育におけるジェンダー格差を無くし、障害者、先住民及び脆弱な立場にある子供など、脆弱層があらゆるレベルの教育や職業訓練に平等にアクセスできるようにする。」の実現に向け、両国が子供向けバレーボールの指導で連携することを確認、さらに岡山シーガルズのタイ友好関係へかける思いを高田さゆりマネージャーが熱く伝えました。
その要諦は、タイ王国バレーボール協会と岡山シーガルズは、2020年東京オリンピックの開催を機に、今後とも、深い信頼関係のもとで、互いの国を訪問・交流を続けながらバレーボールの技を世界のトップレベルで継続的に競い、磨き合うことを約束する。また、子供向けのバレーボール教室などの教育面で連携し、両国の未来を担う子供たちに、世界を見せ、健全な身体と精神を涵養することにより、将来への夢を育むきっかけを作る活動を実施する。さらに、バレーボールによるスポーツ分野の活動を基本に、両国が言語や文化をはじめとした相互の違いを自然に受け入れ、互いに認め合い、文化交流や経済交流の分野でも、友好関係を深めることができるよう、互いに協力しながら貢献活動を行う。最後は、互いの友好関係の継承と選手及びチーム能力の向上を目的として、互いの協議に基づき、若手の選手の相互受け入れや教育指導者を互いに派遣し合う活動についての実現可能性について検討する、です。
この内容に対して、過分なるお心使いのお言葉をSOMPORN会長、SHANRIT CEO両氏から頂きました。さらにJAKSUWAN主席秘書官から、さっそく岡山シーガルズに対して、高校生の育成交流をテーマとして具体的な提案がなされました。
高田マネージャーから日本へ持ち帰り前向きに検討すること、また、山口さんから指導協力できる点は積極的にサポートしたいとの決意を表明いたしました。
こうして協定を無事に結ぶことができました。
この協定の締結を終えて、ほっとしていますと、同ホテルには各国のナショナルチームが宿泊しており、そのなかにタイのナショナルチームの主要選手の皆さんを発見しました。昨年11月に岡山を訪問頂いておりますので、互いが再会を祝し、また、私たちからは試合での健闘を祈念申し上げました。
記念写真を撮って頂きました。
さて、昼食は、ホテルからクルマで30分ほど離れた郊外にある、今回の大会を支援している地元の自然栽培の野菜を栽培している企業が経営するレストランへ、SOMPORN会長、SHANRIT CEO、JAKSUWAN主席秘書官にお連れ頂き、昨晩に続き手厚いおもてなしを頂きました。
味わったことのない野菜や香草の盛り合わせに舌鼓を打ちました。
現地を紹介したHPからの引用ですが「香ばしいガイヤーン(イサーン風焼き鳥)をはじめ、細切りの青パパイヤにいんげんやピーナッツ、トマトなどを加え、甘味・辛味・酸味で味つけしたソムタム、炒めた挽肉などにハーブを和えるラープ、発酵したお米の酸味がアクセントとなっているサイクローク・イサーン(イサーン・ソーセージ)、豚ミンチ入りのミー・コラート(コラート風焼きそば)」など、料理は本場のタイ料理ですので、中には辛さがひときわ強いものもありましたが、無類のタイ料理好きの小職としては、お昼から少食べ過ぎになるほど遠慮なく堪能させて頂きました。
また、屋外の農園を散策させて頂きました。
観たことのない野菜や果実、花卉が数多く栽培されていました。
通訳兼コーディネーターのSeikoさんに、いろいろレクチャーを受けました。
さて、こうして午後には、試合会場のアリーナへ参りいよいよ試合を観戦いたしました。
ここでもお気遣いを頂き、VIP控室をご準備頂きました。
各国とも国の威信をかけたプレーが続き、訪問初日の11日は、台湾と韓国、タイとカザフスタンの試合を観戦いたしました。
日本とは応援の仕方が異なり、リズム感あふれる大きな音響で会場が包まれる中、観客から大声援が送られます。
いつの間にか、その雰囲気に合わせて身体が大きく揺れる応援となりました。
結果は、予想通り、韓国とタイの勝利でした。
12日は、オリンピックの切符をかけて、韓国とタイが激突することになりました。
さて1月12日は、午前中の空き時間を利用してコラート市内を見学いたしました。
ここコラートは女性の英雄が有名であるとのことで、広場にはタオスラナリ(別名ヤーモー)と呼ばれるこの記念碑の女性像が祀られていました。
現地を紹介する観光サイトによれば「1827年(ラーマ3世時)に隣国ヴィエンチャン王国(現在のラオス)がコラートを侵し攻め込んだ際、ラオス軍の兵士達を酒で酔わせ、武器を使って奇襲して、ラオス軍を敗走させたという逸話を持つ。当時のコラートはヴィエンチャン軍に比べて全く軍事力を持ち合わせていなかったため、簡単に陥落したそうですが、タオスラナリの活躍で侵略遂行をあきらめさせることに成功しました。」と記されています。
ハスのつぼみや花飾りなど定番のお供えを購入して、みんなでお参りをいたしました。
また、1時間程度ですが、その周辺の市場を見学して回りました。
野菜や果実、生の肉から焼いたり揚げたりの加工品、もち米などの穀類、お菓子、祭礼の品、そして洋服やカバン、日用雑貨から宝くじまで、何でも揃うと言って過言でないほど、数々の露店や店が軒を連ねます。
昔ながらのタイを感じさせてくれる、とても有意義な時間を過ごさせてもらいました。
こうして市内を少しだけ散策してから、試合まで時間がありましたので、一旦、ホテルへ戻りました。
この日は、ちょうど高田マネージャーの誕生日であり、内緒で、タイのシーガルズファンがバンコクから、バースデーケーキやプレゼントを準備して詰めかけてくれ、Seikoさんの部屋でみんなが準備を整え、サプライズパーティの打ち合わせをしてから、山口さんが高田さんを部屋に迎えにゆき、彼女を皆が迎えてのサプライズパーティを開きました。
誠に心温まる時間が流れました。
タイのファンの皆さんに心より感謝の気持ちを伝えました。
そして、いよいよ決勝戦の韓国とタイの試合を観戦いたしました。
来場者のほとんどが地元タイの応援です。
大歓声がスタジアムを揺らす応援の中で、互いに点を取り合う熱戦が続きましたが、結果はアウェイのプレッシャーに耐え冷静にプレーを続けた韓国に軍配が上がり、残念ながらタイのオリンピック出場の夢は果たせませんでした。
国を背負い、頂点を目指そうとする瞬間、瞬間のプレーがみせてくれた選手の姿は、私レベルの言葉でいくら表そうとしても陳腐で、まさに筆舌に尽くしがたく、心が打ち震える感動を与えてくれました。
山口舞さんが、素人の私に試合の流れを解説してくれるという幸運に恵まれました。
彼女がメダリストであるという経験値の高さが、どのくらい高いことなのか、改めてオリンピックとは何かを実感した瞬間でありました。
試合後、SOMPORN会長をお待ちして、タイの健闘を讃えさせて頂き、また数々のお心遣いへの謝辞を述べて会場を後にいたしました。
1月13日、最終日はコラートからバンコクへと帰路につきました。
帰国前の限られた時間でしたが、バンコク市内で再びタイのファンの皆さんが交流会をタイでも有名なレストランで開催してくださいました。
癖のないタイのグリーンカレーやレッドカレーはじめオーソドックスなタイ料理が並び、〆はスイカのジュースとマンゴともち米のデザートが絶品でした。
山口さんがファンのリクエストに応え、写真撮影やサインに応じました。
そして岡山での再会を誓い合いました。
東京五輪を契機とした地域レガシーの創出を果たすという重要な協定を結ぶことが出来たことで、岡山シーガルズのグローバル戦略が本格的にスタートしたと言えましょう。
また、岡山大学が地域社会へシンクタンク機能を発揮するために顧問として派遣されていますが、その大きなミッションの一つを果たすことが出来ました。
今後、岡山を構成する産官学が連携しながら、これまで以上にみんなが岡山シーガルズを盛り立て、応援することで、タイ王国ナショナルチームとの交互交流が持続的に発展を遂げ、SDGsが目指す目標・ゴールを念頭に置きながら、より良い関係として東京五輪を契機とした地域岡山のレガシーを構築できたと確信したタイ国訪問でありました。