10月24日~25日の学会の合間、仙台の秋を満喫しました。初日、東北大学の学生生協では、サンマフェアが企画されていて、新秋刀魚尽くしの昼食を楽しみました。ご当地ならではのつみれ汁、塩焼き、フライを頂き大満足でした。また、18歳からの選挙権の実現を受けて食堂のトレーには選挙参加を促すシールが貼ってあります。
夜は、東日本大震災発災から1ヵ月後、被災地調査に訪れた際立ち寄った「太助」へ4年半ぶりに参りました。「太助」は、牛タン焼の元祖店で、牛タン焼き4枚に、麦飯とテールスープ、青菜の漬け物と「南蛮」(青唐辛子の味噌漬け)が添えられた「牛タン定食」、そして、ご当地の清酒「浦霞」を注文しました。戦後、仙台に米軍が進駐した際、牛肉を消費した後残したタンとテールを有効活用して、1948年(昭和23年)、「太助」の初代店主である佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが「仙台牛タン」の始まりと言われています。「浦霞」が少々残りましたので、追加で牛タン焼き3枚を追加オーダーして、すっかり満腹です。
ホテルに戻るまで、もう一軒立ち寄りたい店がありました。仙台のジャズの名店「Count」です。ALTECスピーカーから流れるジャズにスイングしながら、角のロックを2杯、時間をかけて頂きました。大人の時を堪能した仙台の夜でした。
さて、東北大学のキャンパスは仙台城跡と一体となっています。様々な学部・研究科などの建物が並ぶキャンパスを結ぶ街路は赤や黄色の木々で色づき、道行く人の目を楽しませてくれます。その道は途中から急な上りの曲がり道が続き、青葉山丘陵のあちらこちらに石垣が現れます。そして最後に見事な石垣沿いの道を上りきると広い景色が開けます。そこ、青葉山公園は仙台城跡となっており、62万石、初代仙台藩主伊達政宗が、慶長15年(1610年)に築城しました。見事な石垣と復元された大手門脇櫓等から往事の素晴らしさを偲ぶことができます。
また、ここからの景色は最高で、仙台の市内を一望することができました。伊達政宗公にご挨拶をして城址を散策しました。現在の本丸周辺は公園、二の丸が東北大学川内キャンパス、三の丸が仙台市博物館となり長沼および五色沼と呼ばれる水堀が残っています。仙台市博物館には、魯迅先生の碑があります。先生がみすえた根本的な社会の矛盾は未だ何ら解決されていないと『阿Q正伝』のくだりを思い浮かべながら、ぶつくさと魯迅先生と語り合いました(魯迅は、1904年に東北大学(仙台医学専門学校)へ最初の中国人留学生として入学している)。そして、それでもマイペースながら進むことをお伝えました。仙台市博物館では、歴史姉妹都市締結40周年記念「宇和島伊達家の名宝」特別展が開催されていました。
小職の出身地は愛媛県です。伊予国宇和島は伊達政宗の長男秀宗が任ぜられた地です。政宗と正室愛姫との間に忠宗が生まれ仙台を継ぐこととなり秀宗は立場が微妙となりました。一方、大坂冬の陣で秀宗が父の政宗と共に戦功をあげたため、徳川家康がその忠義に報い宇和島藩を与えました。こうして、宇和島藩伊達家は仙台藩の支藩ではなく新規に国主格大名として取り立てられ、徳川秀忠より「西国の伊達、東国の伊達と相並ぶ」ように命じられました。その後、仙台藩と宇和島藩は、様々な因果関係を持ちながら互いの関係を維持したようです。
こうした縁から昭和50年(1975年)、仙台市と宇和島市は姉妹都市関係となり、40周年を記念して今回の特別展が開催されました。改めて宇和島藩の名品の数々を、愛媛県でなく宮城県で拝観するのもなにかの縁です。その見事な家宝に驚きました。また、仙台藩からスペイン、イタリアへ派遣された支倉常長のミニシアターが上映されていました。常長らの一行はスペイン領アカプルコ(メキシコ)へ向かい、まず、北アメリカ大陸に上陸しています。その後、慶長20年(1615年)、ヨーロッパ大陸に渡り、スペイン(エスパーニャ)国王フェリペ3世に謁見しています。その後、イベリア半島から陸路でローマへ移動、元和元年(1615年)にはローマ教皇パウルス5世に謁見しています。
この時、わが国ではキリスト教の弾圧が始まり、通商交渉は成功することはなく、帰国時には禁教令が出されていて、2年後に失意のうちに死去しました。この時、常長が持ち帰った品々は「慶長遣欧使節関係資料」として仙台市博物館に所蔵されており国宝に指定されています。どの品も長い歴史の重みを感じる逸品ばかりでした。
博物館を後に、庭を散策しながらお堀沿いを青葉通りまで抜けました。青葉通りは、わが国の戦後を代表する街中の「大通り」です。紅葉の見事な並木に秋を感じます。ただ、風が吹き抜ける歩道へも枯葉が舞い、その処理も大変なのでは、と思いました。通り沿いに、「晩翠草堂」(土井晩翠旧宅)を発見しました。詩人、英文学者である土井晩翠が、第二高等学校(現在の東北大学教養学部)教授を退官して、晩年まで過ごした屋敷が保存されており立ち寄りました。「荒城の月」の額にしばし見入りました。ご案内頂いたガイドの方に、岡山から来たことを伝えますと「六高ですね」と笑顔で応えてくれました。
▲ 土井晩翠宅
こうして、青葉通りから商店街へ入りお店をひやかしながら仙台駅へと向かいました。途中に宮城県の物産館がありましたので、地の特産品を買い込みました。また、仙台空港では、牡蠣の収穫が始まったということでレストランに「カキフライ」の張り紙がありました。そこで、カキフライ単品と仙台味噌を使ったラーメンを注文、独り反省会をいたし、往きと同じ伊丹経由で帰路に着きました。
仙台の秋
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