8月11日、お盆には少し早いのですが、愛媛の郷里に墓参のため帰郷いたしました。自宅の掃除とお墓の掃除、そしてご近所と菩提寺の御住職にご挨拶を済ませて、久しぶりに石鎚山成就社まで登ってみたくなりました。石鎚山は、四国山地西部に位置する西日本最高峰(1,982m)の御山です。
登山口を目指す途中、毎年、初詣に参拝する伊曽乃神社に立ち寄りました。
このブログで過去にも紹介いたしましたが、ここ伊曽乃神社は愛媛にあっては歴史と由緒ある神社です。伊曽乃神社の創祀によれば、御祭神は伊曽乃神という天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)であると記されています。「第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。」とあります。もしかしたら三村家のルーツはここにあるのかも、と思いたくなるような創祀であります。
さて、ここ伊曽乃神社は、なんと言っても例大祭(西条まつり)が全国の祭り好きにとっては有名です。「夕日に映えてキラキラと耀きたわわに揺れる豊の稲穂を咥えた金色の鳳凰。河原をうめつくす数万の人々や堤防に勢揃いした『だんじり・みこし』の見守る中、打ち鳴らす太鼓・鐘の音もたからかに加茂の流れの中で水しぶきをあげ勇壮にだんじりと練り合う御神輿(おみこし)の御姿は誠に神々しいきらめきを放ちます。伊予西条に生まれ育った人はもとより、祭礼のクライマックスを目にされた人々は何がしかの感動の記憶を持たれていることと思います。」(伊曽乃神社HP)
境内は一部工事中でありましたが、参拝を済ませてお気に入りの楠の巨木の下で、しばし休憩いたしました。楠の霊気が伝わってくるかのような不思議な空間でありまして、心安らぐスポットです。
さて、伊曽乃神社を後にして、一路、石鎚登山ロープウェイの麓の駅へと向かいました。このロープウェイは、索道全長1,814m95cm、最急勾配は36度48分あります。山の日とあって臨時便も増発されていて、待たずに乗車、石鎚山中腹(標高1,300m)にある成就駅へ向かいました。ちなみに石鎚登山ロープウェイは、1966年8月に営業開始、走行方式は三線交走式、定員は51人、運転時分は約7分30秒であり、乗客は快適な空中散歩を味わいながら一気に山の上に運ばれます。
成就駅に到着すると麓の下界は猛暑、こことは気温差が10℃近くもあり、ひんやりとして良い心持ちです。爽快な気分で向かいの瓶ヶ森(石鎚山脈のひとつで、愛媛県西条市と高知県本川村との境にある山、石鎚山二ノ森に次ぐ愛媛県内第3位の高峰)を眺めながら、石鎚山中腹(7合目)にある成就社を目指しました。最初は徒歩にて詣でるつもりでしたが、日ごろの疲れと寄る年波のせいで、さらにリフト(冬場はスキー場になります)を利用、手抜きというか足抜きというか、ズルをすることにいたしました。こうして、石鎚神社の成就社に到着、山頂の方角を仰ぎながら参拝を済ませ、茶店で麦茶をおよばれして休憩といたしました。
ここで、石鎚山と石鎚神社について紹介しますと「山頂まで豊かな植生を育むパワースポットです。愛媛県の西条市と久万高原町の境界にあり、古くから山岳信仰(修験道)の山として多くの人々から、篤い崇敬を受けています。また、日本百名山、日本百景、日本七霊山のひとつとされ、石鎚山脈の中心的な山であり、国定公園にも指定されています。石鎚神社は日本七霊山の一つ霊峰石鎚山を神体山(神しずまります山)とする御社にて、山頂に頂上社、中腹(7合目)に成就社と土小屋遥拝殿、そしてJRや国道近くに位置する本社の、四社をあわせて石鎚神社といいます。」(石鎚神社HP)とあります。
また、途中には四国八十八カ所霊場第60番札所「横峰寺」(山岳信仰の霊地で修験道の道場。弘法大師・空海著書『三教指帰』に「或時は石峯に跨って粮を絶ち(断食)轗軻(苦行練行)たり」と記された四国霊場中3番目の高地にある「遍路ころがし」と言われる最難所)もあります。
皆さん、四国や愛媛県の良さを実感いただけるエリアです。ぜひ一度、訪れてみてください。
こうして、お山でのひと時を楽しみ下山、西条市内へ戻る途中にある石鎚ふれあいの里へ向かいました。ここは、平成2年に廃校になった高嶺小学校を改装して、山間部の振興、都市住民との交流を目的に開設された施設で、旧校舎を改装した宿泊棟や木造ケビンが整備されています。
父が他界した後、母を岡山へ迎えましたので、今では実家は空き家となり、電気、ガス、水道ともに停止していますので、今夜はここに宿泊です。傍の清流は、透明度抜群、そのまま飲めるほどの美しさです。しばらく水遊びをしてから、夕食は久しぶりに焚火で飯盒炊飯です。この近所に小学生の折に林間学校で訪れた時には、川の水をそのまま飲み、また炊事に使った記憶があり、その風情は昔と変わりありません。逆に過疎化が進み、以前より、さらにきれいになったような気さえいたします。小学生の頃の思い出がよみがえり、こうした時間をとても懐かしく感じました。
また、夜はかつての運動場で催されたキャンプファイヤーに加わりました。パチパチと音を立てて炎が高く燃え上がり山の端を照らします。あがる歓声、それに虫の音、蝉の音、蛙の音が混ざり合い、木霊し、そして漆黒の闇のなかへと溶けてゆきます。キャンプファイヤーの最後の炎が消えるまで、座ってじっと見つめて過ごしました。若い顔をした父や母、そして友、幼い頃の思い出が、次々と浮かんでは消えてゆき、夜はふけてゆきました。