貧しかったけれど生きる勇気に溢れていた時代

実家が本屋をしている郷里の友人が送ってくれた「とと姉ちゃん」の題材となった『暮らしの手帖』創刊号、広報用なのか、もしも本物なら、よく所有しているものだと感心しながら、自分の生まれた昭和30年代の頃の生活ぶりを振り返ります。

父も母も働いていましたが、ご馳走が肉なしカレーだったりしました。

愛媛の育ちゆえに、柑橘系には事欠きませんでしたが、バナナはめったに食べられませんでした。

それでも庭には柿や無花果、枇杷やさくらんぼの木があり、川では鰻やモクズ蟹、鮎や鯰まで捕れ、四季折々に自然の恵みを頂いていたと思います。

毎朝、鶏小屋に産みたての卵を取りに行くのが親から任せられた仕事でした。

ある日のことでした。元の庄屋さんが舶来モノだと言って、ジョニ赤を持ち込んできました。村の人達が集まり、誰かが鳥をしめてきて、鍋を作り、親達は、みなで一杯ずつアメリカの香りを味わいました。戦争で生き残って帰還した人たちが多くて、感無量の雰囲気の中で、戦後を味わうといったところだったのかも知れません。

いまの時代は、何でも揃いますが、心は昔の方が豊かだったような気がするのはなぜなのでしょうか。

いまの日本は、戦後一貫して経済優先で走りつづけたツケが、バブル経済崩壊以降、人口減少と地方創生を目指す社会では、余りにも空しすぎると思います。

18歳で愛媛を出て東京で30年過ごし、名古屋で5年過ごした後に、岡山で満5年を迎えようとしています。郷里の愛媛に近く、瀬戸内海と山河という、環境が似た岡山の土地に安堵感を覚えながら、岡山の地元でとれた野菜や果物、肉や魚を買い求めるのが楽しみな毎日です。

ともあれ、「とと姉ちゃん」に勇気と元気を貰い、現代の学生たちに何かを伝えてあげるために前進するしか無いのかなあ、そんな還暦前の心境です。