妻の母が、生前に「私の尊敬する父の故郷は京都府与謝郡本庄村という海辺の村で、父の背中に乗せてもらい泳ぎを覚えたことが一番の思い出すす」と、幾度となく聴かされました。その都度、「いつか折を見て、本庄村を訪ねてみましょう」と口約束をしたまま、果たせずにいました。さて、その義母の父(祖父)の生家らしい家屋が長く空き家となり、妻の兄(長男)に税を納付するよう通知が来たという知らせをずいぶん前にもらっていました。
この1年間は、月に1度、京都大学で研究をする機会を得て、いままで以上に、京都を訪れる機会はあったのですが、なかなか、その与謝郡本庄村を探し訪ねるきっかけを得ないままでした。
さて、年度末の有給休暇の消化も促してくれましたので、3月16日は京都駅前に泊まり、翌日の17日、朝5時半前の始発列車で、義兄から教えてもらった住所を頼りに、京都府伊根町(人口2000人弱の丹後半島の先のまち)を訪問することにいたしました。まず京都駅から山陰本線でJR福知山駅まで参りました。そこで京都丹後鉄道宮福線の趣のある列車に乗り換えて宮津駅まで参りました。
そして、浦嶋神社前バス停からは、更に徒歩で2キロほど歩き、ようやく目的地へたどり着くことができました。 生家であろう家屋は空き家でしたので、隣の家を訪ねて訪問の趣旨をお伝えして、最後に、ここの生家に住んでおられた方が誰で、その後の消息などをヒアリングさせて頂きました。家のすぐ裏が若狭湾の美しい海を一望できる国定公園の看板がある砂浜でした。ここで義母は、父親の背中に乗せられて沖まで泳いだのだと思い浮かべることができました。京都駅を出て、鉄路、バス、徒歩で約4時間、ようやく探し当て、目的を達成することができました。 帰りに、浦嶋神社に立ち寄りました。丁度、年に一度の大祭である「延年祭」に遭遇、国重文本殿で翁三番叟を拝観できました。何の準備もせずに、京都駅を出発して、不安な心持のまま、ここまでたどり着けたこと、そして、義母も子供の頃に見たかも知れない、1年で一番の大祭を拝観できたこと、これは義母の導きだと感じざるを得ませんでした。 それから、伊根の観光船の港から船で古い町並みを海から見学して、帰りのバスを調整して帰路につきました。元の京都駅に戻るのも芸がないと感じましたので、バスを天橋立駅で下車、京都丹後鉄道宮豊線の天橋立駅から兵庫県の豊岡駅まで参り、 JR豊岡駅からJR姫路駅までJR播但線で南下、そして姫路駅から一駅、新幹線で岡山駅へ戻りました。
実に2万歩を超えて歩きましたのと、各駅停車が多い汽車とバスの旅となりました。
1日で、こんなに汽車と電車を乗り継ぎながら、しかも長い距離を歩いたのは、人勢初めての経験となりました。
そして、長年、果たせないままで生涯を終えていたかも知れない、亡き義母との約束を果たせた記念すべき1日でした。