愛知県に別れを告げる前に

愛知学泉大学へ赴任して4年半がたとうとしています。

河野理事長
 ▲ 河野理事長(右)

9月16日は、朝から豊田市で地域の交通安全活動の打ち合わせを行いました。昼食に豊田市社会部水野部長をはじめ宮川調整監、中野専門監という幹部の皆さんと昼食をご一緒させていただき、ご挨拶をすませることができました(ご馳走になりました)。皆様方のお気づかいに感謝です。
また、夜は「豊田市まちづくり懸賞エッセイ」をはじめ多くの地域活動でご一緒させて頂いた、NPO法人ITSプラットフォーム21の河野安宣理事長が地下鉄鶴舞線原駅前にある”こがね屋”で送別会を開いてくれました。この温かいお心づかいにも感謝です。本当に河野理事長には、はじめての地の豊田市で数多くのキーマンをご紹介いただきました。また、大学とNPOが連携して、豊田市やトヨタ自動車、中日新聞をはじめ地域の諸団体に働き掛けながらまちづくりに汗をかいた記憶は生涯忘れることはできません。
さて、今月末で退職をするにあたり、愛知県のあまりに多くの場所へ行っていないことに改めて気づきました。丁度連休で引越しの準備も目処が立ちそうで、また、クルマを持ってきていることもあり、18日は朝から一日、気にかかっていた常滑焼の窯、そして日間賀島、熱田神宮、仕上げに熱田神宮前の鰻の名店「蓬莱軒」に行こうと決めて出かけてきました。

土管坂常滑

土管坂


常滑市には到着が早すぎて、窯元などの見学ポイントが開いていませんでしたが、「散歩道」の起点である陶磁器会館にクルマを置いてコースに沿ってぶらぶらと写真をとりながら楽しみました。
登り窯と瀧田家

登り窯(左)と廻船問屋「瀧田家」


廻船問屋「瀧田家」、「土管坂」、「登り窯」などのポイントも素晴らしかったですが、工房やギャラリーもそれぞれが創意工夫をされていて、思わず時が立つことを忘れて見入ってしまいました。ただ、私たちが普段の生活で使っている急須や湯飲みとしての常滑焼と印象が違い、色々なバリエーションがあって少し戸惑いました。また、招き猫の数の多さにも感心しました。
窯元常滑

窯元


常滑で2時間ばかり過ごしてから知多半島を一般道を使って南下して師崎まで出て、高速船で日間賀島へ渡りました。ちなみに師崎には前述のNPO河野理事長が別荘をお持ちであるとうかがっています。
日間賀島

日間賀島


途中の海岸線からの景色は、天候に恵まれたこともあり、湘南海岸や房総半島を思い浮かべる景色(それよりダイナミックな印象)が連続して続き、海の青さにこんな素晴らしい場所が愛知県にはあったのだと改めて感激しました。日間賀島へは10分という短さで、とても船旅とは言えない渡し船感覚でした。魚介類の宝庫であると言われるだけあって、フグ、伊勢エビ、アワビ、ワタリガニ、牡蠣、大アサリ、鯛、アナゴなどそのメニューの多さに驚かされました。そしてなんといっても蛸が名物らしく、港の看板に代表されるように師崎や日間賀島のあちらこちらに蛸を広げて干してある風景に出合いました。現地は家族ずれや釣り人で賑っていました。海の写真を撮ってから引き返しました。
熱田神宮

熱田神宮


その後で、仕上げに一路、名古屋市内の熱田神宮まで取って返し、鰻の「蓬莱軒」に予約を入れてから参拝いたしました。熱田神宮はご祭神として熱田大神=天照大神を祀り、三種の神器の一つである”草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)”が奉納されている由緒正しきわが国を代表する神社です。とりわけ御神木とも言える大楠(おおくす)は見事で、しばらく立ちつくしました。また、宝物殿には皇室にゆかりの品々や信長や秀吉の直筆の書状など、古神宝・刀剣・和鏡・舞楽面・古文書などを興味深く拝観することができました。
こうして参拝を済ませてから、念願の名物”あつた蓬莱軒のひつまぶし”にありつきました。関東と違い、蒸さない直焼きのかば焼きが厨房でどんどん、どんどん焼かれてゆきます。ともかく、店外まで行列が連なり、開店から2時間待ちを覚悟して来なければならないほどの繁盛店です。ともあれ、心残りが無いようにとの思いを込めて過ごした一日でした。
あつた蓬莱軒のひつまぶし

あつた蓬莱軒のひつまぶし