久米南、津山、そして美作

お盆休みの最後は、久米南「北庄」から英田「上山」へ岡山を代表する棚田を巡りました。

まずは、法然の生誕地、誕生寺へ立ち寄り、境内で大銀杏の木を眺めました。

この年老いた巨木は、訪れるたびに元気をくれます。


今年も枝一面に鈴なりの実をつけています。

過去の本ブログを再掲しますと「岡山は、他に栄西や雪舟などの高僧を生んだ土地柄です。誕生寺は、法然の弟子となった熊谷次郎直実が、法然を讃えて生誕の地に建立を申し出たとされています。熊谷次郎直実は、平家物語の敦盛の最期で有名ですが、出家の後は、こうした仏門に帰依することで、修行と供養を重ねたと言われています。また、国の重要文化財の山門と御影堂(本堂)元禄八年(1695)再建は見事で、素朴ながら格式と威厳が感じられます。」です。

さて、お参りを済ませて、誕生寺の裏山の道を第1番目のお目当ての棚田である「北庄」へ向かいました。急なつづら折りが続く山道をしばらく走りますと視界が開け、そこには青々とした稲が見事な棚田が広がります。まさに日本の原風景といえる眺めは心を癒してくれます。耕作するのは相当の尽力が必要であると素人目にも明らかな急な段々の斜面に勢いがある稲が生えそろい、深い山々の風景にとても似合っています。


眺めるうちに昔からの人々の努力と力強さ、そして先人の知恵と工夫がもたらす里山の豊かさを感じることができました。

国道53号線へ戻り、次は一路、津山にある津山洋学資料館を目指しました。


ここへは数度、訪れていますが、何度訪れても展示物の質の高さには目を見張ります。

今回は、「平成30年度夏季企画展 洋書が伝えた不思議な生き物」が開催されており、「江戸時代、オランダ船がもたらした西洋の書物には、当時の日本ではまだ目にしたことのない、様々な生き物が描かれていました。洋学者たちも、その正体をつきとめようと研究しています。本展では、書籍や版画から、江戸時代の人々を驚かせた不思議な生き物たちをご紹介します」の紹介通り、キリンや象、ラクダなどが初めて日本に紹介された当時の文献や絵が展示されており、興味深く拝見させて頂きました。


学芸員の皆さんの説明やおもてなしにも心が通っており、やさしさと意識の高さを感じることができました。

ここ資料館は出雲街道に面しており、昔ながらの街道を保存する取組みが、地元関係者や自治体などの協力でなされています。

こうした古からの歴史と文化を礎にして、そこから知恵の歴史を織りなす多数の逸材を輩出しつづけ、わが国の歴史の転換点に多大なる影響を与え続けた津山は、本当にわが国を代表する城下町であるといえます。

また、その人材の輩出を支える源としての機能を果たしたのが、津山城であると思います。この城は、江戸城、大阪城と並び称される櫓の数の多さを誇った城として有名です。石垣も複雑に築かれ、その景観は「要塞」という言葉がふさわしい構えをしています。


津山市観光協会のHPを引用しますと「津山城は、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟森忠政が、鶴山(つるやま)に築いた平山城です。明治の廃城令で、建造物は取り壊されましたが、地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残しています。天守の南東側の備中櫓(びっちゅうやぐら)が、築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されています。城跡は『さくら名所百選』にも選ばれた西日本有数の桜の名所となっていて、桜の季節には毎年多くの人が訪れ、津山のシンボル的な場所になっています。」と紹介されています。再建された備中櫓を見学いたしました。さわやかな風が吹き抜け、ここからの眺めは見事です。また、天守閣跡の石垣まで登ることができますので、津山のまちを一望できます。

こうして津山を後に、美作市の英田上山の棚田を目指しました。

津山から美作へ通じる道路は、吉井川沿いを走るドライブにはうってつけの美しい景色が続きます。走ること30分ほどで上山です。

ここ上山は北庄と比べても、いずれも甲乙つけがたい広々とした見事な棚田が広がります。ここは外から入ってきた若い人たちの手で再生された棚田です。


岡山大学も微力ながら再生のお手伝いをさせていただいています。

さて、上山では、偶然にも、ここ英田上山棚田再生の旗手であり、そして地方創生のプロフェッショナルである西口カッチ総裁にバッタリ出くわしました。
いつもながら、渋さの中にも、はつらつとしたオーラを漂わせておられました。

雲海温泉につかりました。露天風呂からは風に秋の気配を感じました。

帰りはお気に入りの美咲町にある中華そば「天心」にて、中華そば&焼きめしセットで仕上げました。

[関連リンク]