位牌に母の戒名が刻まれ、先に逝った父の隣に並びました。
東京はじめ主要都市に緊急事態宣言がだされる時節ではありましたが、母が折あることに訪れてみたいと話していた足摺岬に日帰りで出かけました。
高速道路が整備延長されていなければ、日帰りでは無理な行程です。
水島インターチェンジで乗り、一路、高知を目指しました。
コロナウイルス感染へのリスクがありますので、途中1度トイレ休憩をマイナーなサービスエリアでとり、一気に高速が開通している四万十町中央ICまで参りました。
そこから国道56号線を、土佐市を抜けて四万十市へ入り、四万十川名物沈下橋がある、「佐田の沈下橋」近くにある「さこや」さんに参りました。
お目当ては四万十の天然鰻です。
岡山から一気に走ってきましたので、のどが渇いていました。
まずはノンアルコールビールが飲みたくなり、つまみに「四万十名物ごりのから揚げ」を頂きました。そして、注文の天然うなぎが登場です。
女将さんが、「ちょいと小ぶりだから、いっぱいサービスしておきましたよ」と言われ、お重のふたを開けてびっくり、本当に鰻がぎっしり敷き詰められているではありませんか。
ここまで来た甲斐があったというものです。
確かに、肉厚のしっかりした鰻をふっくらと蒸しあげた関東の名店とは、まったく違う、口に運ぶと、どちらかというとアナゴに近い食感が広がりましたが、まごうことない鰻です。噛みしめるほどに味わいがあり、これまで食したことのない満足な逸品です。
吸い物も「四万十あおさの味噌汁」で、素朴であっさりとした味わいでした。
鰻の数が多かったせいもあり満腹で、朝から何も食べずに、ここをめざした甲斐があったと大満足でした。
いまでは希少価値の天然物を頂いた感動を女将さんに伝え、お礼を告げて「佐田の沈下橋」にクルマを進め、川岸でしばらく休みました。
四万十川の清流は、本当に人の心をほっとさせてくれます。
屋形船も出してもらえるらしく、コロナ騒ぎが収束すれば、家族で訪れようと心に決めました。
さて、四万十川を後にして、一路、海岸線を足摺岬へとクルマを飛ばしました。
途中で、高知県一の美しい海岸と言われる「大岐の浜」でクルマをとめました。ここ大岐浜は、足摺宇和海国立公園に指定されている景勝地であり、土佐清水市のHPによれば「真っ白な砂浜と緑の林が1.6kmに渡りゆるやかな曲線を描く美しい海岸。その美しい砂は遠く足摺岬の花崗岩(かこうがん)が侵食運搬されたもので、足摺国立公園の東玄関たる序景にふさわしい。昔からキャンプを楽しむ絶好の場所でもあります。最近はサーフポイントとしての人気も高く、県内外からサーファーが訪れる。広々とした砂浜に立ち、のんびりと波の打ち寄せる様を見るのもいいかも。季節を問わず多くのサーファーが訪れる海岸でもあり、実は絶滅危惧種のアカウミガメが上陸し、産卵する砂浜でもあります。」と紹介されています。
確かにサーファーが数人みえました。
流石に太平洋は、いつも見慣れている瀬戸内海とはスケールが違います。
その雄大さと、青さに、「これは写真に収めてもこの感動は伝えきれないな」と感じました。大きく一つ深呼吸をしてから、四国最南端の足摺岬を目指しました。
そして足摺岬には四国霊場第38番札所足摺山「金剛福寺」があります。
ここは数ある札所の中でも名刹で、広い境内には池が配され、誠に奥深い趣のあるお寺です。
足摺岬は、わたしが中学生の頃に、父が連れてきてくれた思い出があります。
子供の頃は、母は、遠出の時には、いつも留守番でしたので、「金剛福寺」にお参りを済ませまして、ようやく母を連れて来ることが出来たような気がしました。
門前には、蓮の白い花が咲いており、母の御霊を見送ってもらえたような気がしました。
そして参拝を済ませ、椿の花が残る遊歩道をゆっくりと歩いて岬を目指しました。
白い灯台が見えてきました。
断崖絶壁に打ちつける黒潮が生み出す荒波、どこまでも高い空、澄み渡る空気、磯の香り、野鳥たちのさえずり、視界を遮るものがないため水平線が丸く見える感動。
人影はまばらでしたので、展望スポットのベンチに腰掛けて、独り心を空っぽに、ぼんやりとした時間を過ごしました。
帰りには、四万十町(旧窪川町)にある中華「瀧の子」で、高知県が生産量日本一を誇るニラを使ったご当地ラーメン「韮味噌ラーメン」を食しました。
岡山は黄ニラの生産日本一とあって、黄韮ラーメンの店がありますので、食べ比べがしたかったというのが本音です。
広い店内に、お客さんは誰もいませんでした。
さて、日が暮れてきましたので「土佐佐賀温泉こぶしのさと」(単純硫黄温泉)に浸かって帰路につきました。
ここも数人のお客さんで、濃厚接触は避けられたと思います。
このあと、全国に緊急事態宣言が発令されました。
新型コロナウイルス感染予防の観点から、いよいよ多くの施設が休業となる前のタイミングで、心の中に両親を連れて行った一人旅でありました。
いよいよ、しばらくは県外へ出かけることが禁止となりましたが、一日も早い収束(終息)を祈るばかりです。